台湾彰化縣梁姓宗親会親善訪問報告
令和5年11月、3泊4日の日程で梁氏呉江会会員一行8名が台湾の彰化縣梁姓宗親会との親善交流のため、台湾を訪問しました。呉江会としては、中国福建省の梁氏との交流以外では初の外国訪問となります。親善訪問の報告をさせていただきます。
1. 1日目
1-1「鹿港龍山寺」、「鹿港天妃宮」、「鹿港老街」見学
かつて 台湾 第二の都市だった 鹿港 には、当時の古い 建物 がそのまま残っている。鹿港龍山寺は建物や庭園、内部の装飾など非常に素晴らしく鹿港天后宮は鹿港を象徴する建物、創建は1591年とされ、現存する建物も1936年に建てられた歴史的建造物である。国定古蹟に指定され、台湾各地からの参拝客で賑わっている。
1-2彰化県秀水郷「彰化県梁氏宗親會」訪問 台湾梁氏祖先の碑:清国(1700年代)の時代、大陸から台湾彰化県秀水郷に移住し、開拓をはじめた祖先の畑、3ヘクタールートの地だそうだ。街はずれのその畑の一角に「梁姓、郡祠祀田」と刻まれた石碑が建っていた。大陸から渡来した祖先が、定着発展していった重要な場所の印である。その後梁一族は秀水郷一帯に集落を形成し、発展したようでそこに現存する祖堂に案内された。幾つかある梁族の廟の一つで、有力者の古い祖霊舎が修復され新祖堂として梁族祖先がまつられていた。
少し離れたところに梁一族が管理している道教の寺院らしい立派な建物、「彰化秀水 清龍岩」に案内された。梁徽彬会長はじめとして秀水清龍岩管理委員会の皆さんと面会、挨拶をかわし、焼香、献金して内部を見学した。梁一族を中心に寺院を管理しているが、梁一族の祖先を祭っているところではなく、広く地域の信仰の中心のような寺だった。秀水郷最大で最古の寺院で、農村住民の信仰の中心となっている。中央のホールは観音菩薩を祀り、左のホールは関聖帝を、右のホールは扶余帝が祀つられている。他に玉皇大帝、朱邸千年、蘇邸千年、聖母、大小さまざまな神様が祀られている。清龍岩組織は委員長、副委員長、事務局長、総務グループ、外交グループ財務グループ、祭りグループ、ボランティアグループなどで組み立てられていた。
「彰化秀水 清龍岩にて記念写真」
なぜ梁一族が主体となって管理しているかは分からなかったが、梁一族が秀水郷で有力な一族であることは推測できる。併設した事務所には梁木川理事長以下約10名の梁の名の付く理事がいて、大きな組織であった。また事務所階下の部屋に、精巧な彫刻が施された清国時代168年前の貴重な神輿が保存されていたが、何の祭りでどのように使われるのか分らなかった。ネットで見た限り近隣のいくつか巡回交流するイベントで引き廻される神輿のようだが、詳細は不明であった。
正式には艋舺龍山寺(ばんかりゅうざんじ)という。本尊は観世音菩薩であるが、現在では道教や儒教など様々な宗教と習合しており、孔子や関帝(関羽、三国志で知られる)、媽祖など、祀られている神は大小合わせて100以上に及ぶ。人々は様々な神が祀られた7つの香炉を順に廻りながら、それぞれの神に参拝する。(参考:Wikipedia)観光客と地元参拝者で賑わっていた。清時代の乾隆3年(173年)、大陸福建省泉州から渡ってきた漢民族の移民たちによって創建され、福建普江安海龍山寺の分霊を迎え入れました。
4-2剥皮寮歴史街区、学校文化施設
剥皮寮歴史街区は龍山寺の近くで、康定路、広州街および昆明街に囲まれたエリア です。「台北市郷土教育センター」は教育と文化を融合し、郷土教育を推進するためリノベーションされたスポットである。剥皮寮とは杉の皮を剥いで様々なもの作っていたことからこの名前がついたそうで、日本統治時代のレンガつくりの建物など残したリノベーション地域、今では台湾アート等の発信基地になっているそうで、観光客と若者でにぎわっていた。
8.まとめ
「台湾梁氏との交流・親睦深め台湾文化を理解すること」を目的に出張し、以下のように考察した。
今回の台湾梁氏との交流は沖縄梁氏と接点があるのかどうか、重要な関心事であったが、台湾梁氏は約250年前、清国の時代に福建省泉州市安南市あたりから台湾開拓民として移住してきたようであるから、沖縄梁氏とは時代的にも地理的にも接点は少いように思われた。
沖縄梁氏は500~600年前、福建省を経由して北京との公的交流をする中で琉球に居住定着している。したがって接点があるにしても、中国福建省の祖先、あるいは700年~800年前の泉州市梁克家あたりまでさかのぼる必要があるかも知れない。今回の交流では細かいルーツの突合せをすることはできなかったが、やっとたどり着いた台湾梁一族なので、まずは顔合わせで懇親を深め、今後交流を重ねる中でルーツや接点が明らかになることを期待したい。さらに地域に根差した台湾梁氏の組織活動も、情報交換して学んでいきたい。
台湾文化を理解する目的で主な観光地を巡った。台湾は最も近い隣国として、県台北事務所も設置されていて、長い付き合いがある国である。しかし日本の一県としての交流には政治的背景もあって、人的にも経済的にもいま一歩踏み込めないところもあった。また最近ではコロナ禍や台湾有事の緊張感もあって街の雰囲気は気になったが、高層ビルや清潔な街並み、観光客や地元若者たちの賑わい、高速道の車の流れなど、相変わらずの親日的雰囲気は平和的で経済的にも力強さが感じられた。今後も観光を中心とした経済的交流は拡大するだろうし、IT産業やものづくり産業の交流は重要となるだろう。その中で梁氏一族の交流も具体的に活発になることを期待したい。
呉江会副会長 國吉和男
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