福州へ行ってきました 2

たんめー

2024年12月13日 13:15

 講演会での話の導入として、閩人の末裔は久米三十六姓と称され明治の廃藩置県で実体を失った久米村に代わり、大正時代に久米崇聖会を設立し14世紀以来伝えて来た中国文化を継承していることを手短に紹介しました。
 次に僕の伝えるべき今日の梁氏について話しました。琉球梁氏は現在の福州市長楽区呉航江田から渡来した「梁嵩」を始祖とする父系の血縁集団で、福建省各地に暮す梁氏とルーツを同じくする一族です。日々の暮らしや風習・方言にも中国の影響が残り、旧盆ではウチカビを燃やし、清明祭・ウマチーなどの祭祀行事と、年寄りを敬う敬老会、勉学に精進する若者を激励する学事奨励会を毎年開催しています。10年前には法人格のない梁氏門中を一般社団法人化して一族の財産を保全し子孫へ代々引き継ぐ仕組みを作りました。門中財産を運用し会員の相互扶助や結束に務め、親子レクや梁氏美術展の開催など新しい施策を試みています。中国や台湾の梁氏と交流して友好関係を築いている事も話しました。
 福州市長楽区にルーツがある琉球梁氏だが、親戚がいるのではないかと会場へ問いかけると女子学生が手を挙げてくれました。残念ながら福建省生まれではなかったが、宋時代の宰相梁克家まで辿れば親戚だと連帯を伝えました。
仲本さんはお父さんが語っていた福州琉球館について話しました。
祖父英炤が琉球館で暮らしたのは明治末から大正の時代で、琉球館は既に本来の役目を終えて、乙商業学校で英語教師をしていた祖父や茶貿易商の儀間さんが住んでいました。祖父は福州時代の蒋介石と親交があり、東京の軍人養成学校へ留学する蒋介石を日本へ案内しました。台湾総統となった蒋介石は恩に報い、亡くなった祖父に代わり息子夫婦を戦後台湾へ招待しています。後に祖父は福州を離れ那覇の商業学校で支那語の先生になります。琉球歴史の至宝である「歴代宝案」を久米の旧家で発見したのはその頃です。
講演後の質疑では琉球館を語る生き証人が現れ驚きとか、花米は中国由来か、梁氏以外でも習慣があるのかとか、呉江会の名前の意味など聞かれ、我々の話が何かの役に立ったようでホットしました。

(参考)歴代宝案は琉球王府400年余の外交文書を収録しています。門外不出とされ久米村内に秘匿していたが、発見と県立図書館への移管により世に出ました。
 図書館への移管を推進した1人が梁氏の國吉有慶です。「もし発見が無ければ、もし移管がなければ」歴代宝案は写本を残さずに、十十空襲で焼けていたのです。


 
    講演会の様子  1              講演会の様子 2

文 國吉 克哉

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